道から見える時間
日本のメディアではよく「バリ島は時間が伸びる(ように感じる)」「ゆっくり流れる(ように感じる)」「ゴムの時間(のように感じる)」という文句でバリ島の時間を表現することがありますよね。
一般的に考えればそれってありえないことですよね。ただ確かに直観することができるし、それがわかる人、いや「わかる」って漢字で書くと「分かる」ということはそうであるコトとそうでないコトを分けるという意味なので正確には違うな、認識とも理解…とも違くて、直観…できる人が多いから重用されている言葉ですよね。
おそらく理由としては、外面的には日本のように早歩きをする人がいないですし、みんな急いでいないから。それがおそらくバリ島やインドネシアのライフスタイルであるし、良くも悪くもせかせかすることを嫌う。他方内面的にはあくまでリラックスやリフレッシュ目的の旅行のため、何をどうしても外すわけにはいかない予定に追われることが無いからだと思います。
そんな時間がゆっくりに感じる理由なんてクソどうでもよくて、「ゴムの時間」に話を戻すと、それはまさにフランスの哲学者アンリ・ベルクソンの「純粋持続」に他ならないのではと常日ごろ考えています。「純粋持続」はとても複雑な概念なので、ざっくりと説明すると、私たちが通常使っている時間は空間に投影された時間であり、それはあくまで対象の影、本来の時間とは純粋な持続であり、何時何分といった形で切り出し固定することはできないもののため、理解や認識ではなく直観することしかできないよねってことです。きっと10%も伝わってないと思うので、気になる方は「ベルクソン 純粋持続」で検索してください。
えっと、ここからが僕の考えたことですが、前述のベルクソンの純粋持続のお話を元にすると、僕らが常日頃呼んでいる「クタビーチ」とか「レギャンビーチ」といった概念的な枠組み、エリアわけもあくまで影のようなものであって、それ以上に「ビーチ」と「それ以外」という線引きでさえ便宜上の本質ではないモノに思えてきてしまいます。となると唯一直観できるのは「僕」と「それ以外」がある事くらいです。はぁ、僕はいま一体どこに座って、何をしているのだろう、とりあえず20円のコーヒー飲もう。
20円の道端コーヒーは例え大富豪になっても飲んでいたいよね。乾杯。 pic.twitter.com/qRwThbSrkk
— ホリ(バリ島旅行のみかた) (@HORI_BALI) 2017年5月5日
道から見える観光客
これは以前色んなメディアで発信したことですが、道に1日中座っていると日本人観光客が世界の観光客と大きく違うところが見えてきます。それは挨拶を返さないで無視するところ。
もちろん僕だって日本人だから、外国だし、いきなり話かけられたら怖いと思うし、100m歩けば何人にも声かけられてうざったいのはわかりますが、その場面で起きてることだけを見れば「インドネシア人の陽気な挨拶を無視した冷徹な日本人」っていう状況ですからね。
日本の大きいメディアさんでは「諸外国では日本人ってこんなに素晴らしく思われてるんだ!俺らすごいよね!」っていうメッセージの番組や企画が多く作られていますが、バリ島で「日本人=怖い」ってイメージを持っている人は必ずいますからね。
って脅しても仕方ないですよね。要は「ハロー」って言われたら「ハロー」って返せばいいじゃないか!ってことです。そのあと何か買わされそうとか、どこか連れていかれそうとか、嫌な雰囲気を感じとったなら「ごめんね、もう行かないといけないんだ」っていえばいいじゃないですか。日本語でもいいですよ、意味は通じなくても違う方向に歩く素振りをすれば相手だってなんとなく理解してくれるでしょう。それだけで今後バリ島にくる日本人のイメージって徐々に変わってくると思いますよ。
ただ、そんな僕でも夜のレギャン通り(クラブ街)だけはほぼ無視します。「ハッパ、ハッパ」「オンナアル、オンナ」と声を掛けてくるのは、まだいいとしても、それに紛れて強引なスリが集団でポケットやカバンに手を入れてくるから。要注意!
道から見えるお店
バリ島のお店は入れ替わりが激しく、メインの通りでも毎年新しいお店ができたり、潰れたりしています。先ほどもちらっと出てきましたが「10年前は全然違った、こんなのはバリじゃない」とおっしゃる方も非常に多いです。
確かにバリ島ならではのお寺や田んぼ、牛がいたり、レイバンのフェイク品やペラペラの生地の洋服、旅行中に壊れるサンダルが売っているお店、さらには小さな個人経営のワルン(食堂)がある風景は確かに趣があっていいのかもしれません。
ただ、僕からするとそれっってバリの田舎であって、もはやクタやレギャンに求めるものじゃないよね、と思ってしまいます。だって僕が来た時にはすでにバリ島はこうだったし、今現在あるものがバリ島です。
「それを許すと、歯止めが効かなくなって、ウブドまでどんどん開拓うんぬん…」という意見も出てきそうですね。ただそれを聞いたところで、国の発展や国民の豊かさよりも自己の欲望を優先する卑しく残酷な人なのだなと思うだけです。昔ながらの汚く売れないお土産屋さんが潰れて綺麗で清潔感のあるレストランになるだけで、どれだけの外貨が落ち、それによって多くはないものの幾ばくかの雇用を創出するという点は悲しくも無視されていくのだなとも思います。
それにバリ島の文化や伝統を残せというのは日本人がいうことではなく、バリ島にいるローカルが主張すべきコトです。何十年後、京都のように昔ながらの通りを残すのか、それとも新しい建物で埋め尽くすのか、どちらが良い悪いは僕にはわかりませんが楽しだなあと道に座りながら思います。
道から見える働く人々
よくインドネシアで働く人の平均月給は3万円程度と言われます。ただよく注意してほしいのはこの3万円って数字は本当はよくわからないものだということです。というのもインドネシアってかなり広く、首都ジャカルタの平均月給はこれより高いはずですし、逆に田舎の島の農村部の給料はこれよりかなり低いはず。また、お店を複数店舗経営しているオーナーで毎日売上金を取りにいくだけの人もいれば、生まれながらの地主で一生働かない人もいる。ただそういう人達は基本的には観光客との直接的接点ってないですよね。だから観光でバリ島に来て実際に街で出会う人ってそんなには貰っていない気もします。
実際のところどうなんでしょう?僕の回りで働く人は3万円も貰っている人は少ないです。と同時に副業をする人も多く知っています。メインの仕事が午後から出勤だから午前中はバイクタクシーをやっている、OLXというインドネシアのフリマサイト的なので仕事中に仕事してるなど。
バリ島のスマホ本体約6000円、12回分割で1ヶ月500円。
それでスマホが持てて、世界の叡智の結晶に触れることができるってすごいことですよね。 pic.twitter.com/0JKJwmYx4V
— ホリ(バリ島旅行のみかた) (@HORI_BALI) 2017年5月13日
ちなみに、ちょっと別のおはなしですが、シティグループが出した予想で2050年にはインドネシアが世界第4位のGDPとなるというものがあります。日本は8位(2015年データでは3位)。インドネシアの人口は日本と異なりメチャクチャ増加しており、知へ到達する手段としてのインターネットが今後さらに普及し、教育が行き届くようになると日本なんか余裕で追い越していくのではないかといわれています。つい最近Twitterにあげましたが、月500円の12回払いでスマホが買える時代です。かといって、今のところそのスマホでローカルがすることと言えば、アプリゲームかYoutubeくらいのものなのですが。youtubeやグーグルのアドセンス、アフィリエイトなどでお金が稼げるということを知る人はまだ多くはありません。
道から見えるバイク
「日本のバイクはもっと誇っていい!」と常日頃思います。このインドネシアという国ではバイクが国民の生活に欠かせないものとして存在し、各メーカーの新しいモデルが出ればTVCMが流れ、買おうものならみんなの注目の的となります。いま各メーカーと出しましたが、バリ島にあるバイクはほとんどが日本の4大メーカーのものなのです。もちろんイタリアのピアッジオ社のベスパシリーズや台湾のSYM社のバイクもたまーに見かけますが、本当に少し。定番はやはり日本のメーカーのものです。
一方、日本人の感覚としてはバイクってどうでしょう?ふわっと脳によぎる概念として「事故をおこす」「危ない」「うるさい」…ああ、バリ島でこんなにも素晴らしいとされているものが、それを持っている国では卑下されているなんて。
そんなことを思いながら、僕の友達ヤヤンに「もし日本に行けたら何がしたい?」と聞いてみると「日本のバイクを一日中見てたい」とのこと。「日本ではそんなにバイクは走っていないから、大きな中古バイク屋さんかバイクパーツショップにでも行こうか」とリアルな案を提示しています。
どうのこうの言いたい気持ちもわかるけど、バリにおいでの気持ちが、ありがたい。
日向ぼっかーって言葉に惹かれてますよ。
バリに、ぼこりに行きたいなぁ〜。
貯金頑張るよ!